岡山地方裁判所 昭和42年(ワ)670号 判決 1971年2月23日
原告 甲野花子
右訴訟代理人弁護士 小野敬直
被告 乙山月子
右訴訟代理人弁護士 田淵洋海
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、申立
(原告)
被告は原告に対し金四一四万九八八〇円とこれに対する昭和四二年一一月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決と仮執行の宣言を求める。
(被告)
主文一、二項同旨の判決を求める。
第二、主張
(請求の原因)
一、原告は昭和四〇年一二月二三日岡山区検察庁検察官遠藤寛により、岡山簡易裁判所に対し、左記名誉毀損の公訴事実につき公訴を提起されたが、同簡易裁判所で審理の結果同四二年一〇月二三日無罪の判決の言渡があり、右判決は同年一一月七日確定した。
(公訴事実)
被告人は昭和三九年五月頃岡山市番町一丁目一二の一四番地藤田昌平方において、藤田昌平および藤田初子の両名に対し、同年五月二、三日頃同市内山下真金堂において、加藤咲子に対し、同年五月三〇日頃同市住吉町二丁目五一番地丙田三郎方において、丙田星子に対し、それぞれ「昭和三九年四月二五、六日に○○投資信託サービス株式会社岡山支店の社員、外交員が、鳥取県三朝温泉へ慰安旅行に赴いた際、支店長丙田三郎と外交員乙山月子とが抱き合ったり、一緒に入浴したりしたのを見た者がある。肉体関係があるらしい。」などと話し、もって公然事実を摘示して、右乙山月子の名誉を毀損したものである。
二、ところで、原告が右刑事々件につき被告人として裁判をうけるにいたったのは、被告が同三九年一一月三〇日岡山東警察署に対し、原告を被告訴人として、事実無根の名誉毀損の告訴状(同月二八日付)を提出して告訴したからである。
三、原告は被告の告訴により、警察官および検察官から被疑者として取調をうけ、さらに、起訴された後同四一年二月一四日より同四二年一〇月二三日までの間前後一一回の公判期日に公開の法廷に、刑事被告人として出頭し審理をうけた。幸い無罪の判決の言渡をうけたものの、これにより原告のこうむった精神的苦痛と名誉を傷つけられたことは筆舌に尽しがたいものであった。加うるに、原告は被告と同様に○○投資信託サービス株式会社(以下単にサービス会社ともいう)岡山支店所属の外務員であるが、被告に告訴されて以来会社の内外において理由なく信用を失墜し、業務の遂行に著しい支障を生じ、成績低下し報酬の減少を見たばかりでなく、会社の上司、同僚に白眼視され、日々の勤務は極めて不愉快の連続であった。
四、このように、原告がその名誉をそこなわれ、信用を失い、多大の精神的苦痛をこうむったのは、すべて被告の故意又は過失による事実無根の告訴に基づくものである。よって、被告は右不法行為により原告のうけた左記損害を賠償する義務がある。
1、慰 謝 料 四〇〇万円
2、弁護士費用 一四万九八八〇円
前記刑事被告事件に際し、弁護を依頼し防禦を余儀なくされ、そのため支払った弁護士謝金および費用の合計額であって、被告の違法な告訴により生じた相当な損害である。
五、よって、原告は被告に対し、右損害合計四一四万九八八〇円とこれに対する不法行為後である同四二年一一月二九日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(請求原因に対する被告の認否)
一、請求原因一の事実は認める。
二、同二の事実は告訴が事実無根であることを否認し、その余は認める。
三、同三の事実中原告がその主張のように被疑者として取調べをうけ、被告人として公判廷に出頭し審理をうけたこと、原告および被告サービス会社岡山支店勤務の外務員であることを認め、その余は否認する。
四、同四および五の事実は争う。
(被告の主張)
一、被告の告訴にかかる事実はすべて真実である。すなわち、原告は同三九年五月末頃より藤田昌平および同人妻初子、加藤咲子、岡舜子、丙田星子らに対し、同年春当時サービス会社岡山支店長であった丙田三郎に引卒され原、被告およびその他の社員一同が鳥取県三朝温泉に慰安旅行をした際、丙田と被告が情痴の性関係をなし、或は両人が情交関係ある如く事実無根のことを告げてこれを流布し、被告の名誉を甚だしく傷つけた。
さらに、訴外秋山文男は同三九年一一月二〇日発行の時事タイムス内報版旬刊ヌーに、前記慰安旅行の際被告と丙田との間に情痴の性関係があったとする虚構記事を三頁にわたり掲載してこれを一般に販売配布した。該記事には被告の夫が岡山県立東岡山工業高等学校教諭であり、女房の浮気にも文句のいえない男である云々の中傷記事まであり、しかも右新聞には右記事の取材提供者が原告であることが明記されていた。
ここにおいて、被告はこれらは原告が被告の会社内における地位名声をねたみ、被告を排斥失脚させるためにした計画的な行為と信じ、耐えがたく意を決して前記告訴におよんだ次第である。
二、告訴は被害者が捜査機関に対し被疑事実を申告し訴追を求める刑事訴訟法上の権利であり、被疑事実を捜査し起訴不起訴を決するのは公訴官の専権である。したがって、告訴が誣告でないかぎり、告訴と捜査、起訴、裁判との間に法律上相当因果関係がない。しかも、本件告訴は不実を申告したものでないから、原告が捜査機関の取調をうけ、裁判に付せられ名誉を傷つけられ損害をこうむったとしても、被告の責任ではない。
(被告の主張に対する認否)
一、原告が被告主張のような事実を流布したことは否認する。
二、被告主張のような記事を載せた旬刊ヌーが発行されたことは認めるが、原告が右記事の提供者であることは否認する。原告自身右記事により多大の迷惑をうけているのであって、被告は右記事を虚構と言いながらその一部を軽々に信じて原告を右記事の提供者として申告したものである。
第三、証拠≪省略≫
理由
一、原告および被告はともにサービス会社岡山支店に勤務する外務員であること、被告は同三九年一一月三〇日岡山東警察署に対し原告を名誉毀損の被告訴人とする告訴状(同月二八日付)を提出して訴追を求めたこと、原告は同警察署および岡山区検察庁において被疑者としての取調を経たうえ、同区検察庁検察官により同四〇年一二月二三日岡山簡易裁判所に原告主張の公訴事実につき公訴を提起され、同簡易裁判所において原告主張のとおり一一回にわたる公判期日の審理を重ねられた末同四二年一〇月二三日無罪の判決を宣告せられ、右判決は同年一一月七日確定したことは当事者間に争いがない。
二、≪証拠省略≫によると、被告の提出した告訴状は被告が佐佐木禄郎弁護士に依頼して作成してもらったものであること、右告訴状は訴外秋山文男と原告を被告訴人とし、右両名に被告の名誉を毀損し刑法二三〇条に該当する行為があるとして訴追を求めたものであり、被疑事実として、秋山は時事タイムス社の編集発行人と称している者であるが、その編集する同三九年一一月二〇日発行時事タイムス内報版旬刊ヌーに、被告の勤務する会社岡山支店の社員一同が同年春三朝温泉に慰安旅行をした際、被告が支店長丙田と情痴の性関係をした旨全く虚構の記事を三頁にわたり載せ、五、六百部を印刷頒布した旨、また原告は前記々事とほぼ同様な内容のことを、同年五月末頃より藤田昌平および同人妻初子、岡四四子外一名に伝え、その後も各方面に右のことを流布した如くであり、前記新聞記事の提供者であることも確実である旨記載されていることが認められ、反対の証拠はない。
三、右事実によると、被告が捜査機関に対し、原告を被告訴人として申告した事実は、日時場所ならびに伝えた個々の内容の特定がなされていないけれども、原告は同三九年五月末頃から藤田昌平夫婦、岡四四子外一名らに対し、前記慰安旅行の際被告が丙田と性関係をもった趣旨のことを言いふらし、さらに前記中傷記事の関係事実を提供したことを内容とするものであることが認められる。ところで、被告は右申告事実はすべて真実であると主張するので検討する。
1、藤田昌平、初子夫婦と岡四四子関係
≪証拠省略≫によると、岡四四子はもとサービス会社岡山支店の外務員をしていた者であるが、同三九年五月岡山市内の職業安定所で、かつて同支店に勤めていたことのある知人藤田昌平から、原告が昌平宅に来て丙田と被告が肉体関係まであるらしいという話をした旨告げられ、真偽を確めるべくその頃岡山市番町一丁目一二番一四号昌平宅に妻初子をたずねたところ、同女も「原告から自宅で慰安旅行の際支店長が風呂に立つと被告がすぐ友人を誘い後を追って入浴に行った、その後は想像に任せますなどと、あたかも丙田と被告間に肉体関係があったかのような話を聞いた。」旨話してくれたこと、かねて原告が男女関係のことを思いめぐらして言いふらす癖があると思っていた岡四四子は、もと同僚の外務員であった知人黒原某と相談し、同年五月二九日同道のうえ岡山支店に丙田をたずねて藤田夫婦から聞いたことを話すとともに被告にも報らせて注意を促したこと、丙田は翌三〇日原告を呼び右事実を確めたところ同人は藤田方で話したが誰でもうわさしているようなことを言ったのだから格別問題はないと答えたので、さらに、翌六月一日藤田方を訪れ確めたところ、藤田初子は原告が来て話したことを認めたし、他の外務員について調べた結果社内で原告らがそのようなうわさ話をしているということであったので、原告の夫太郎に来社を請い原告に今後このようなことを言いふらさせないよう、被告とも和解するよう協力を依頼したことが認められる。
これに対し、証人藤田初子は「原告が来宅して丙田が被告に好意をもっていて仲がよいという内容のことを話した、数日後岡四四子に原告から聞いたことを話した、自分としては好意をもっているとは特殊の関係があるという意味にとっていた。」旨証言し、原告本人は「旅行から帰って間もない頃社内で同僚から旅館でエロフィルムが上映されたとき丙田が被告を抱くようにしていたとか、丙田が風呂に行くといって立ったら被告がすぐ佐野某を誘って追っかけるようにして風呂に行ったというような話を聞いていた。藤田昌平方で同人ら夫婦と雑談中旅行の話が出て聞いていた右の入浴のときのことを話したが、混浴場のことであり別に人に話していけないようなことではない。藤田夫婦は他の外務員から聞いたことをも加えて私から聞いたように尾ひれをつけて言っている。」と供述している。
そして、≪証拠省略≫によると、刑事判決において、原告が藤田夫婦に対し旅行先で丙田と被告が特に仲がよかったらしいとか、入浴のときのことなどを世間話としてしたもので、公訴事実に示されたような言葉を使用してしたものではなく、想像をめぐらせば両名間にスキャンダルがあったのではないかと疑わせるものがなかったとは言えないが、他に伝えられたり、他人が聞知しうるような状況はなかったと認定されていることが認められる。
以上の事実を合せ考えると、同三九年五月原告が藤田昌平方で同人夫婦に対し旅行先での丙田と被告との態度や行動について同僚から聞いていたことを話したことと、その話し方は少くとも旅行先で右両名間に肉体関係があったことを想像させるに足りるものであったこと、ならびにその話が刑事判決の説くように藤田夫婦からさらに他に伝わる余地が全くない状況下になされたとまでは断定できないことをそれぞれ認めることができる。≪証拠判断省略≫
2、加藤咲子関係
証人加藤咲子の証言、被告本人尋問の結果によれば、加藤咲子はもとサービス会社岡山支店の外務員であったが、同三九年五月初旬岡山市内山下所在真金堂食堂で、もと同僚であった原告および佐々木咲子と会ったこと、その際原告から「同年四月慰安旅行に参加したが旅館でエロ映画を見たとき丙田が被告を抱くようなかっこうになったとか、丙田が入浴に行くのを見て被告がすぐ人を誘い、ことわられるやひとりで丙田の後を追ったとか、丙田と被告が砂丘に見物に行ったときしばらく見えなくなったとか、帰社後被告の丙田に対する仕草が色っぽく特別親しそうにするという趣旨のことを聞かされたこと、被告はその後加藤に右事実の有無を確め、原告が加藤に右のようなことを話したに相違ないと信じたことが認められる。右加藤の証言内容自体に刑事判決のいうような経験則上認めがたいほど矛盾があるとは思われないし、加藤と当時真金堂で会ったことはないとする証人佐々木咲子、原告本人の各供述の方が刑事判決のいうほど加藤の証言に比し信用できる格別の事情を認めることができないし、他に右認定を左右する証拠はない。
3、丙田星子関係
≪証拠省略≫によると、同三九年五月三〇日原告は会社で丙田から藤田方で話したことの内容について問いただされたが、そのとき被告も同席して二人して原告に責任をとれなどと迫ったようなことがあり、原告はこれを罪人扱をうけたとしていたく憤慨し、村尾美代子外数名の同僚を同道して、岡山市住吉町二丁目五一番地丙田支店長方をたずね妻星子に面会したこと、その席で主として原告が星子に対し、丙田や被告が公私を混同し不公平な扱をし職場の空気が乱れているので支店長夫人にも聞いてもらいたい、場合によっては本社に投書するつもりであるとか、慰安旅行のとき丙田が風呂に入るのを見て被告がすぐ後を追って入ったのを見た人があり、またエロ映画が上映されたとき丙田が被告にくっついて見ていたのを村尾美代子に見られているなどと興憤ぎみに話して帰ったこと、原告らが星子との面会の結果についていろいろ話しているのを知った被告は黒原某とともに星子に会い確めたところ、同女は原告らから聞いたことをそのまま話してくれたことがそれぞれ認められる。≪証拠判断省略≫
4、岡舜子関係
≪証拠省略≫によると、同人は同三九年頃岡山市上之町天満屋百貨店附近路上において、たまたま出会った原告から、慰安旅行に行ったとき被告が丙田とエロ映画を見、いっしょに風呂に入ったりして仲がよかったという趣旨のことを聞かされ、その後岡四四子に会ったとき同人に原告が話していたことを告げたことがあることを認めることができる。≪証拠判断省略≫
5、旬刊ヌー記事取材関係
≪証拠省略≫によると、同三九年一一月二〇日秋山の編集発行にかかる旬刊ヌーに被告主張のような丙田と被告の中傷記事が掲載され、被告の得意先などに配付されたこと、秋山は被告の告訴により名誉毀損の罪につき公訴を提起され有罪の判決があり確定したことが認められる。
そして、被告は右記事の材料を提供したのが原告であることは記事自体に明記されていると主張する。なるほど≪証拠省略≫によると、右記事中に支店長と被告の当夜のことをとった録音テープを用意したのも原告のお膳立であり、その証拠を本社に報告したのも原告である旨記載されていることが認められる。しかしながら、右記事はひとり丙田や被告夫婦の名誉をそこなうものであるばかりでなく、原告にとっても相当迷惑にわたる部分があって、若し右材料の直接の提供者が原告であるとすればこのような表現の記事にはならなかったと考えるのが自然であるから、右記載のみにより直ちに原告を提供者と認めるのはいささか早計といわなければならない。この点につき、証人秋山文男は朝日新聞岡山支局営業部にいた者から取材した、原告が提供者であることを確めなかったのは自分のおちどである旨証言するけれども、真偽のほど疑わしく、また後記認定のように、原告が本社に投書したこと、その内容に世論に訴えたい気持があるなど述べていることなどから原告が新聞に載ることをも辞さなかったと推察できなくもないが、これをもって、原告を材料提供者と断定するに十分でなく、他にこれを認めうる明白な証拠はない。
四、≪証拠省略≫によると、被告が告訴を決意するにいたる経過につき、次の事実が認められる。
被告は同三九年五月岡四四子から前記三1記載のような注意をうけ、早速藤田初子に事実の有無を確め、原告が丙田と被告が情交関係にあるかのような話をしたことを知った。そして、被告は同年六月初丙田星子からも前記三3記載のように原告が丙田方で話したことを聞いたが、さらに加藤咲子も同年五月初真金堂で前記三2記載のようなことを原告から聞かされていることを知り、社内および旧同僚間に慰安旅行のとき以来丙田と被告間に肉体関係があるかのようなうわさがひろまっていて、そのうわさの根元が原告にあると信じるにいたった。このことを知った被告の夫二郎は、同年五月下旬原告の夫太郎を勤務先にたずね、原告に前記のようなことを言いふらされ家庭的にも迷惑しているので事実であれば原告に謝ってほしいと申し入れたところ、太郎は原告から何も聞いていないが、前にも似たようなことがあったし家内のことだから言っているかも知れない、私から謝るという返事だったので原告に面会できるよう頼んで別れた。二郎は同年六月初丙田に呼ばれ岡山支店に行ったとき、同様来合せていた太郎から、家内は謝る意思はないと言い私の言うことなど全然聞かない、自分としては事実関係が解らないからこの前謝ると言ったことを取り消す旨告げられた。その後二郎は岡山市内小林寺において原告および旅行に同行した同僚の佐々木咲子、村尾美代子らと会い、原告に対し他人に告げていることは目撃して確信をもっているのかどうか確めたところ、原告はくわしい話を聞けば二郎が良心的に現在の職を続けることができなくなるのではないかと述べたが、二郎が構わないと言うや原告は自らは見ていないと言い、同席した村尾らが目撃したとしてそれぞれ話をした。一方原告は前記のように同年五月三〇日丙田のみならず被告から責任をとれなど詰問されたことに立腹し、即日丙田夫人をたずねて憤懣を述べ、さらに同年五月三一日付書簡をもって本社鈴木社長に宛て、丙田と被告の公私にわたる態度を難詰し併せて慰安旅行の際の両名の行動を報告し、ことのなりゆき如何によっては世論に訴えたい気持でいっぱいであるとし善処方を訴えた。そのため同年六月一一日本社から犬石常務が来岡し事実調査を遂げたが、原告は右調査が支店長側に立った一方的調査であって反支店長派に属する原告らについて十分の調査をしないため真相がわからないとして、即日本社鈴木社長らに宛て書状により再度善処方を要望した。その頃支店長会議で上阪しだ丙田は犬石常務から右手紙を示され、原告が投書していることを知り、帰社後被告にそのことを告げた。被告夫婦は同年六月下旬○○株式会社岡山支店長川端某に呼ばれ、原告が謝罪するようであれば許すことができるかどうかたずねられこれを了承したが、その後同支店長から原告が謝る意思がなく和解はむつかしいので告訴するようになってもしかたがないだろうと告げられた。被告らはなお原告が考え直してくれることを待ち表沙汰にすることをためらっているうち、和気郡町村会事務局長貞国某から被告に対し電話をもって、秋山文男が丙田と被告の旅行先でのスキャンダルの記事を載せた新聞を出すと言って来た、同じ支店の原告が言ったことが載っている、秋山は原告から取材したと言っているが今のうちなら金で発行をとめることができるのではないかとの注意があった。被告は早速丙田に報告したが金を出すような姑息な手段はとらない方がよいということになり放置していたところ、同年一一月二〇日付で前記内容の旬刊ヌーが発行配付され、被告のみならず夫二郎において、公私にわたり甚大な迷惑をこうむるにいたったため、やむえず秋山と原告を告訴することを決意し、被告において岡山東警察署に係官をたずね事情を述べたら、告訴状を出すよう言われたので佐佐木弁護士に相談してこれを提出して申告した。以上のとおり認められる。
五、告訴は捜査機関に対し犯罪事実を申告し訴追を求める意思表示であって、犯罪の被害者その他一定の者に与えられた権利ではあるが、それ自体人権を侵害し名誉を傷つけるおそれのあることが当然に予想されるところであるから、およそ告訴にあたっては、事実関係を十分調査し証拠を検討して犯罪の嫌疑をかけることを相当とする客観的根拠を確認してこれを行い、軽卒な申告を避けるべき注意義務があるといわなければならない。
これを本件についてみるのに、以上認定の事実によれば、被告が告訴状に記載して申告した事実のうち、原告が藤田昌平夫婦外数名の者に対し慰安旅行の際丙田と被告間に性関係があった旨伝えたとの点については、表現の点に多少の相違のあることはともかく、おおむね真実であったということができる。もっとも、右記載が岡四四子に対し原告が直接告げた趣旨であるとすれば事実に反するというほかないけれども、必ずしもそのような趣旨とも考えられないし、記載自体概括的なものであり起訴にあたって除かれているからことさら問題とするほどのことではない。また、ことがらの性質上、たとい原告の話した相手方らが被告らにこれを伝えるにあたり多少表現を異にし誇張にわたる部分があったとしても、前記告訴にいたる経過にてらすと、被告において原告がこれを言いふらしたと信じたことはむりのないところであり、申告につき過失があるとはいえない。また、本件中傷記事の材料の提供者が原告であるとの点については、真実の証明がなされたとは言いがたく、右記事を冷静に検討しなかった点においてやや軽卒であったといわれてもしかたがない。しかしながら、右新聞はもともといわゆる街の赤新聞と称せられるものであって、秋山が正規の新聞のルールをまもるような者とも思われないし、川端、丙田各支店長らにおいても、当時原告が右記事の取材に何らかの関係があり従来のいきさつから見て被告が告訴におよぶこともやむえないと考えていたことがうかがわれ、さらに、右記事の内容や前記告訴にいたるまでの事情を合せ考えると、被告において秋山が原告からこれを取材したものと信じてその旨申告したことはまことにむりからぬことであり、しかも、結果としてこの点は公訴事実から除かれているところでもあるから、この点の申告についても被告に過失があるとすることはできない。もっとも、原告の話した相手方はいわゆる勤め先の部内者若しくは旧部内者であって話の内容からしてさらに他に伝えられることが全く予期されないとはいえないとしても、それは限られた範囲内のことと考えられ、不特定または多数の者が知ることのできる状態でなされたことにあたるかどうかの点について疑いがあり、刑事々件において無罪の判決を見たと考えられないこともない。しかし、被告は前記のように弁護士に相談して告訴におよんだものであるうえ、申告した事実が犯罪を構成するかどうかの法律的判断は告訴をうけた捜査機関において捜査を遂げたうえきめるべきことであるから、本件事実関係のもとでは、被告に過失が認められないとする前記結論に変りはない。
六、かような次第で、本件告訴以来原告が名誉を毀損され精神的苦痛をこうむったことは同情に耐えないけれども、被告に告訴につき故意、過失が認められず不法行為が成立しない以上、本訴請求は失当として棄却することを免れない。
よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 五十部一夫)